元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

海峡に立つ


許永中におけるイトマン事件 】


「海峡に立つ 泥と血の我が半生」(許永中著、小学館電子書籍版)を読んだ。


経歴(略)
 91年にイトマン事件、00年に石橋産業事件で逮捕。12年12 月、母国での服役を希望し、ソウル南部矯導所に入所。13年9月に仮釈放。現在はソウル市内にて、介護や都市開発など様々な事業を手掛ける。


 世間では「イトマン事件」といわれているが、私にとっては「事件」ですらなかった。後に私が「不当に高くつり上げた金額でイトマンに絵画を買い取らせ、損害を与えた」として大阪地検は特別背任とした。しかし、これらの絵画取引は、あくまでイトマンから私への融資でしかない。それもイトマンから頼まれたことである。

 検察の主張によれば、イトマンに持ち込まれた絵画は211店、総融資額は約557億円。うち340億円はイトマンへの損害だとした。しかし絵は全て担保としてイトマンにあった。

 私が相場の何十倍、甚しくは90倍の価格をつけたなどと報じられているが、事実無根であることは裁判でも明らかになっている。

 繰り返すが、担保にした全ての美術品の中に、贋作は一点もない。出所も全てはっきりしている。イトマンに言われた通り、請求書「持って行って品物を届けた。

 1990年(平成2年)2月から取引が始まり、9月で終わる。検察は私とイトマンとの7か月間の絵画取引のうち、最初の2か次は「融資」で後の5か月は「売買」だと分類している。この線引きが何だったのか、いまもって不明である。裁判で弁護士が何度となく主張したことだが、これらは全部融資であり貸借である。融資と売買を分ける根拠を出してくれと言っても、何も出てこない。

 結局私が問われた罪名は、商法の特別背任のみ。特別背任とは、その会社の役員などが問われる「身分犯」である。代表権や決裁権を持っている人間が、会社に損害を与えた場合にのみ成立する。

 裁判所で繰り返し述べたが、私はイトマンの役員でもなく、部外者で代表権もない。身分なき人間を商法の特別背任に問う場合は、最高裁判例がある。「結局的な加行」があったかどうかだ。積極的にその決済に関与して、会社の経営に影響を与えた場合にのみ罪に問うことができる。本来、私に適用できる罪状でさえなかったのだ。


<感想>
 バブル崩壊後の大きな事件として記憶する「イトマン事件」。
 著者においては「事件」でさえないというのは、本書を読めばよく分かる。

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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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