【 渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか 】
以下は、「昭和の怪物 七つの謎」(保坂正康著、講談社現代新書)より。
渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか
晩年に上梓したエッセイ集『置かれた場所で咲きなさい』はベストセラーとなっていた。
わずか九歳で青年将校や兵士たちに父が機関銃で撃たれたその現場にいて、一部始終を目撃したのが渡辺和子だった。
「ニ・ニ六事件は、私にとっての赦しの対象からは外れています」
昭和の軍内にあっては、天皇を神権化するグループとはいっせんを画し、むしろ美濃部達吉の天皇機関説を評価していた。永田鉄山らにも期待されていた指導者でもあったのである。
そういう理知的な性格や仕事ぶりが、荒木貞夫や真崎甚三郎を頂点とする皇道派の軍人たちには目障りだったのだ。
渡辺 私がもし腹を立てるとすれば、父を殺した人たちではなく、後ろにいて逃げ隠れをした人たちです。
保坂 荒木、真崎など陸軍の指導者ですね。
渡辺 はい。私が本当に嫌だと思うのは、真崎大将が事件直後、青年将校に対し、「君たちの精神はよく判っている」と理解を示しながら、昭和天皇が断固鎮圧をお命じになると、態度を一変させたことです(真崎は軍法会議では無罪)。軍人なのになぜ逃げ隠れなさったのか。そういう思いは今も持っています。
事件の発生当初、政府と軍部は青年将校たちに優柔不断な姿勢だったのに、昭和天皇が自ら兵を率いて鎮圧にあたるといってくださったから、青年将校たちは反乱軍になったのだというのです。本当にそうでした。母は、昭和天皇の厳しい姿勢に心から感謝しておりました。
<感想>
ノートルダム清心学園理事長のポストに就いていたシスター渡辺和子が赦さなかったのは、ニ・ニ六事件で逃げ隠れした陸軍の指導者だった。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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