元証券マンが「あれっ」と思ったこと

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あれっ、五・一五事件の犬養道子への影響?

犬養道子にとっての五・一五事件


 以下は、「昭和の怪物 七つの謎」(保坂正康著、講談社現代新書)より。


第四章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか


 犬養毅が政友会の総裁として首相に擬せられたのは、昭和六年十二月である。このとき犬養は七十六歳であった。すでに政界を引退してもいい年齢なのに政友会総裁であったのは、政争の激しい政党をまとめるには長老級の重みが必要とさらていたからだった。元老西園寺公望から、若槻礼次郎退陣のあとを受けて後継首班の指名を受ける折に、昭和天皇は犬養に同情を示し、「軍部が内政、外交に立入ってかくの如きまでに押しを通すということは国家のために頗る憂慮すべき事態である」と西園寺に伝えていた。

 昭和六年九月の満州事変から三ヵ月、軍部がゴリ押しして政治に介入してくる事態をとにかく犬養で乗りきってほしいと天皇は考え、大任を託したのである。


 道子氏は書いている。

「犬養内閣は本質的な矛盾と弱さをはらんでいたとよく言われる。陸軍大臣にその荒木中将を据え、内閣書記官長に関東軍と同じく関東軍路線を支持するのみならず推薦するほどの、曾ての三井物産の切れ手、森恪を置いていたからである」

 道子氏は満州事変や青年将校などの不穏な動きの背後にいる軍事指導者を荒木貞夫と見ている。


「しかしいま、私は思うのであるーー荒木・森の二人を内閣中枢に据えたこと自体、お祖父ちゃまのーー追いつめられたお祖父ちゃまのーー最後に打った手なのであったと。俗に、虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うではないか。最も『危険な』ふたりを己が懐中に抱えることによって彼らの動きを牽制したいと彼は叶わぬ望みを望んだのであった。」


 話してわからぬ時代だから五・一五事件があり、高橋是清、斉藤実などが亡くなった二・二六事件が起こったのである。それだからこそ「話せばわかる」の一語だけで、後世に伝えようとするのは、どこかおかしいのではないか、この一言で世の中がよくなると考えるのは歴史の本質を忘れさせてしまうと道子氏は言っている。私もまったく同じ論理で同調する。

 道子氏はさらにその著(『花々と星々と』)で記す。肉親の一人(女性)が、見舞いや善後策の打ち合わせに来る閣僚の中に荒木陸相を見つけ、近づいていき低いが強い声で「荒木さん、あなたがやった!」と迫った。「とたんに正装の大臣が崩れ折れて畳廊下に両手を突き、長い間背を震わせていた」。道子氏の記憶の中に一片一片の絵が刻まれている。


<感想>

 五・一五事件犬養道子二・二六事件の渡辺和子。
 事件の現場にいた二人。事件が二人のその後の人生に与えた影響は如何許りかと思いやる。

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