元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、コロナ恐慌回避のための金融緩和と積極財政?

【 コロナ恐慌回避のために昭和恐慌を考える 】


 2020/5/18、現代ビジネスで高橋洋一さんが、『GDP壊滅、歴史的コロナ恐慌か…それでも日本は「緊縮派」だらけの愚』を掲載した。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72674?page=6

 以下はその一部抜粋。


昭和恐慌
1930年から31年にかけて起こった戦前日本の最も深刻な恐慌で、第一次世界大戦による戦時バブルの崩壊を契機としている。


濱口雄幸内閣
1920年代、世界の主要国は金本位制へ復帰していたが、その結果として20年代末期から世界大恐慌が起こった。このような状況下で、1929年7月に成立した立憲民政党濱口雄幸内閣は、金解禁・緊縮財政と軍縮促進を掲げた。

このマクロ経済政策を、今の言葉で言えば、金融引き締め政策と緊縮財政政策だ。濱口雄幸内閣の事情は城山三郎『男子の本懐』に書かれているので、ご存じの方も多いだろう。

この本では、濱口雄幸首相は東京駅で銃撃され、非業の死を遂げた英雄として描かれている。その大前提として、「立派な経済政策を遂行した」という見方がある。そして、その信念を男の美学として「男子の本懐」と呼んでいる。


高橋是清蔵相
史実としては、この金融引き締めと緊縮財政政策は政変によって終わった。1931年12月、立憲政友会犬養毅内閣が発足したが、高橋是清蔵相はただちに金輸出を再禁止し、金本位制から離脱し、積極財政に転じた。

この積極財政は日銀引受を伴い、同時に金融緩和も実施され、民政党政権が行ってきたデフレ政策を180度転換する「リフレ政策」となった。その結果、先進国の中でも、日本は恐慌から比較的早く脱出できた。

昭和恐慌は、世界恐慌とともに、需要ショックにより引き起こされた。それには高橋是清が行ったような、日銀引受を伴う金融緩和と積極財政が最も有効な処方箋だ。


コロナ対策会議の経済学者
今回のコロナショックも、世界的なサプライチェーンの寸断という「供給ショック」も確かにあるが、人の移動制限とビジネスの停止による急激な需要喪失という「需要ショック」の面がむしろ強く、昭和恐慌と同様な経済対策が必要だ。

それなのに、コロナ対策会議に入った経済学者は、財政緊縮派ばかりだ。担当の西村経済財政相は、その辺りを気にして、次のようにツイートしている。
https://mobile.twitter.com/nishy03/status/1260574893298585602

東日本大震災の後に小林氏が主張していた、復興増税とその後の歳出カット論は、反省してすむような話であるまい。


<感想>
 約90年前の昭和恐慌の二の舞になることは是非とも避けたいので、今後、金融引き締め政策と緊縮財政政策だけは避けて欲しい。

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