元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、レッド・パージ中の脚本家によるローマの休日?

 

ローマの休日:脚本家ダルトン・トランボ

 


 先日、『「ローマの休日」を仕掛けた男 不屈の映画人ダルトン・トランボ」(ピーター・ハンソン著/松枝愛訳)を読んだ。

 以下は、一部抜粋。

 


 映画『ローマの休日』の原作者については、トランボの全作品の中で最も吟味されてきた。トランボは自分のオリジナル映画脚本を本人のイアン・マクレラン・ハンターの名前で市場に出し、それをパラマウントが買った。
 プレストン・スタージェスベン・ヘクトその他による草稿は退けられた。監督のウィリアム・ワイラーがローマへ携えた草稿はトランボの脚本をハンターが手直ししたものだった。
 ワイラーは英国の作家ジョン・ディントンを雇い、その草稿に磨きをかけ、制作中に新たなシーンを書き加えさせた。そのため、1953年に映画が公開された時、画面に出された脚本家のクレジットはハンターとディントンが共有した。


 別離で感傷的になっている心情を振り切って素っ気ない台詞を吐くのだが、ヘップバーンが演じた人物(アン王女)がジョーと別れたことによって勝ち取った成熟ぶりを明らかに示すものであるだけに、彼女の演技の中でほかでは見られない重みがある。


Were I not completely aware of my duty to my family and my country, I would not have come tonight. Or indeed ever again. Now, since I understand we have a very full schedule today, you have my permission to withdraw.


 この台詞はあらゆるトランボ作品の中で義務と個人的名誉に関する最も明白な意見表明の一つである。


 トランボが描いた主義に殉じた登場人物たちと、主義に殉じたトランボ本人の行為との類似は、彼の映画作品の研究から少しずつ集められたおそらく最も重要な教訓である。


 彼女は自分の義務を果たすために自由を断念し、彼の方も彼女の愛を正当化するため安易な金もうけを諦めたのだ。


原註
 ブラックリストによって必然的に生じた欺瞞のためハンターが『ローマの休日』で受賞したオスカーは厄介で、彼自身「あれは悪夢だった」と振り返る。「誰も自分のやっていないことに対して有名になりたくなんてない。
 僕はただオスカー像を家に持ち帰り、ニューヨークの家の屋根裏部屋に放り投げた。思い返すと、ほかに選択肢はなかった。
 『ローマの休日』が制作されていた時、まだブラックリストは優勢だった。少なくともダルトンは賞金を得た。皮肉にも、ブラックリストが幅を利かせれば利かせるほど、自分も替え玉(フロント)を使わざるを得なくなった。」
 『ローマの休日』のクレジットが書き直されたのは、1993年5月になってからだった。


<感想>
 赤狩りで逮捕もされた脚本家ダルトン・トランボ
 「ローマの休日」においても、義務と名誉に関する彼の主義が所々に感じられる。

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