【 伊集院静:ひとりをたのしむ 】
先日、「大人の流儀10 ひとりをたのしむ」(伊集院静著、講談社)を読んだ。
以下は、一部抜粋。
ひとりをたのしむ
前回の本では私なりに“ひとりで生きる”とはどういうことなのかを考え、文章にしてみた。その後、何か足りないものがある気がしていた。
足りないと考えていたのは、人によって敢えてひとりで生きることを選ぶ人たちがいるという前提で、その心理、そうした結果、起こることを何篇かの文章で考えようとしてしまった点だ。
しかし、それは対局で見ると間違いだった。敢えてひとりになるのではなく、人間にはひとりになる状況が否応なしにやって来て、ひとりで生きることと向き合わねばならないことが、実は大半なのだとわかった。
そのことを教えてくれたのは、コロナだった。コロナに感染した人は勿論だが、コロナをおそれ、注意深く生活する人が、実はひとりで生きるということがどういうことなのかを理解しなくてはならないのを、私は思い知った。
コロナを防ぐには、コロナに感染しないためには、他人、人と接触するのを徹底して避けることだが、私たち人間は他人と関わらずには生きていけない。
一人、独りで生きることには、忍耐が必要だ。忍耐は養わなければ成長しないし、耐えてみて初めて、同じように耐えている人がいることに気づく。
ひとりということをわかち合えないか?
ひとりで生きているからこそ、その人にしか見えない、素晴らしいものがあるのではないか?
――あの人もひとりで耐えている。
ひとりを経験したから、そう考えられるようになった。その心境を言葉に、歌に、詩歌に、舞台に、戯曲に、小説に、絵画に、彫刻に、舞踏に活かす何かがあるはずだ。
ひとりをたのしむことができたら、それはたぶん大きな一歩になるだろう。
<感想>
クモ膜下出血から生還した著者が言うように、敢えてひとりで生きることを選ぶ人より、ひとりになる状況が否応なしにやって来る人の方が大半だろう。
ひとりをたのしむことができること。高齢化社会では大事なことであろう。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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