元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、マルクスの影響を受けた米南北戦争?

 

カール・マルクス:ジャーナリストとしてアメリ南北戦争に影響 】

 


 以下は、「この1冊、ここまで読むか!」(祥伝社鹿島茂(フランス文学者 ALL REVIEWS主催)との対談)からの一部抜粋。

 


第4章 内田樹×鹿島茂
『ルイ・ボナパルトブリュメール18日
ージャーナリスト、マルクスの最高傑作

 


ヨーロッパからアメリカに亡命した「48年世代」

 

内田 48年の市民革命に挫折して、アメリカに移民してきたばかりのこの「48年世代」を読者にしてマルクスはどうしてフランスにおいて歴史的必然性のある二月革命が失敗して、その後に何の政治的理想も持たない二流の政治家が権力を得ることになったのか、そのプロセスについて書いているわけです。
読者たちはいわばこの世界史的な事件の当事者たちです。自分たちがいったい、どのような政治的文脈のうちで敗北を喫したのか、それをぜひ知りたい、そういう熱い思いを抱いているはずの読者に向けてマルクスは書いているわけです。だからこそこのドキュメンタリーは実にわかりやすく、説明としてすぐれているのだと思います。

『トリビューン』は1840年代から70年代にかけて、アメリカでもっとも影響力の強いメディアの一つでした。マルクスはそこに定期的に寄稿してのです。
『トリビューン』の特派員に任用されてから10年間、マルクスは400を超す記事を英語で書きました。 
アメリカのリベラル派市民たちは『トリビューン』を読んで、世界中の出来事について、イギリスの帝国主義やインドの植民地支配や清朝の没落やアメリカの奴隷制度などについてマルクスの精密で切れ味のよい分析を読み続けていたのです。これがアメリカ社会の世論軽視にまったく影響を与えなかったということは考えられません。

南北戦争は人間社会はいかにあるべきかをめぐる思想的な戦いでもあるわけですけれど、北軍の思想の基盤形成にマルクスは深く与っています。いまのアメリカ人たちは。自分たちの国の歴史的転換点にカール・マルクスがいたという事実を絶対に認めないでしょうけれども。

 


第二帝政期のフランス経済はイギリスのGDPを追い越した

 

鹿島 もともと、ナポレオン三世は思想的にはかなり平等のほうに傾いた人で、1860年からは抑圧体制を緩めて「自由帝政」と言い出した。独裁者で自分から民衆に自由を与えて開放政策を取った人は、歴史上、二人しかいません。ナポレオン三世と、台湾の総統・蔣経国です。蒋介石の息子ですね。開放的な独裁者とでもいいましょうか。

 


日本の明治の繁栄はナポレオン三世のおかげ

 

鹿島 第二帝政の絶頂期だった1867年に開かれた第二回万国博覧会徳川昭武使節団の随員としてパリに行ったのが、渋沢栄一です。渋沢栄一はそこでサン=シモン主義的な経済の回し方を勉強した。
サン=シモン主義は、インフラを国家が財政出動して整備し、あとは自由競争に任せるという外部注入型の資本主義、ニューディールの先取りみたいな改良資本主義なんです。だから、資本主義の土壌はあっても、インフラがなかったところでこれをやると、一気に花咲くんですね。日本で渋沢栄一がやったのは、この外部注入型の資本主義です。その意味で、日本の明治の繁栄はナポレオン三世のおかげだったともいえるんです。

 


<感想>
 アメリカの南北戦争時、マルクス北軍に志願するリベラル派に影響を与えたということに、歴史的な皮肉さを感じざるを得ない。

 

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