【 東京裁判におけるパール判事のご指摘 】
先日、平川祐弘著「昭和の大戦とあの東京裁判」(河田書房新社)を読んだ。(その2)
以下は一部抜粋。
『パル判決書』
一人だけ多数派とは異なるDissentient Judgementを書いた。パルは、裁判中、日比谷の一室でひとり筆で戦った。真理を求めて戦った。その英文は整然としており、見事な大著である。パル判事はまず言う。
勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは、敗戦者を即時殺戮した昔と我々の時代に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである。このように定められた法律に照らして行われる裁判は、復讐の欲望を満たすために、法律的手続きを踏んでいるふりをするものにほかならない。それはいやしくも正義の概念とは全く合致しない。
このような裁判を行うとすれば、本件において見られるような裁判所の成立は、法律事項というよりむしろ政治事項、すなわち本質的に政治的な目的のために司法的外貌をかぶせたもの、という感じを与えるし、またそう解釈されるとしてもきわめて当然である。
これは裁判の冒頭に清瀬弁護人がしたと同じ根本的な指摘で、同調する人は多いであろう。東京裁判は「法ナケレバ罪ナク、法ナケレバ罰ナシ」の罪刑法定主義に背いているからである。
ご参考)パール博士顕彰碑(京都霊山護国神社)
https://tokyowanyosai.com/sub/ibutu/sekihi/kinen-147.html
<感想>
東京裁判において唯一被告全員無罪の意見書を出したインド代表パール判事。
多数派とは異なる論理的なご指摘には頭が下がると同時にこういう主張ができる人になりたいと思う。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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