【 南北朝正閏論 】
先日、「逆説の日本史 28 大正混迷期」(井沢元彦著、小学館)を読んだ
以下は一部抜粋(その1)
第一章 南北朝正閏論の展開
たとえば、足利尊氏は極悪人どころか「育ちのよいおぽっちゃん」で性格もよかった。ただ、日本史に三人いる「幕府の開設者」(他に源頼朝と徳川家康)のなかでは、もっとも決断力に欠けた人物であった。じつは「人がいい」からそうなので、頼朝が上総広常や弟の義経を粛清し、家康が六男忠輝を義絶しライバルの豊臣家を滅亡させたような非情の決断ができない。これに対して後醍醐天皇は、はっきり言おう、人間としては最低の人物であった。
簡潔にその内容を述べれば、「後醍醐は最低の人格で、尊氏は人格者だった。だから当時の日本人は尊氏を日本のリーダーに選んだ。ただし、尊氏は非情の決断ができない男であった。北朝を建てるにあたって最大の障害となる後醍醐を隠岐島あたりに『流して』おけばすべて丸く収まったのに、それができずに吉野に逃してしまい、南北朝時代という日本史上最悪の混乱時代を招いてしまった」ということだ。
ところが、イデオロギーという魔物に取り憑かれると人物評価が歴史上の事実と真逆になるから面白い、いや恐ろしい。
ご参考1)Copilot(生成AI)宛て「南北朝朝正閏論について教えて」
南北朝正閏論は、日本の歴史において南北朝時代(1336年-1392年)の正統な王朝を巡る議論です。この時代、南朝と北朝が並立し、それぞれが正統な王朝であると主張しました。南朝は後醍醐天皇を祖とし、北朝は持明院統の光厳天皇を祖としています。
この議論は、南北朝合一後も続き、明治時代に至るまで続いたとされています。南北朝正閏論は、日本の歴史学や政治において重要なテーマであり、多くの学者がこの問題に取り組んできました。
ご参考2)【逆説の日本史】イデオロギーの「色眼鏡」で「極悪人」とされた足利尊氏
https://www.news-postseven.com/archives/20220728_1776933.html?DETAIL
<感想>
日本史は選択しなかったが、確かに「後醍醐天皇は名君、足利尊氏は極悪人」という刷り込みがされているのは間違いなさそうだ
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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