先日、「石原莞爾と山本五十六 失敗の本質」(村田精久著、文藝春秋)を読んだ
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784160090255
以下は一部抜粋(その1)
日清戦争では、主従関係にあった中国(清国)と朝鮮(韓国)の間に割って入り、清国に戦争を仕掛けて台湾を奪って植民地とした。朝鮮の場合、ロシアに接近しようとした王妃の閔妃を暗殺。日露戦争後には、韓国の反対運動を武力で弾圧し、強引に韓国を併合して植民地として支配した。その後の独立運動に対しても、残酷な弾圧を行った。
また、第一次世界大戦のどさくさにまぎれて、中国に対して対華二一カ条の要求をつきつけ、軍事力による脅迫行為によって受諾させ、満蒙権益等の権益を奪い取った。
このような行為は覇道そのものであり、日本に王道を名乗る資格はなかったのである。
石橋湛山の「小日本主義」
日本がそのような汚名を返上し、アジアの連帯を図ろうとするならば、当時の国際情勢に鑑み、取るべき道は次に述べるようなことであったと考える(以下の1と2)
1.「国際連盟規約で定められたような平和的手段で、満蒙権益に関する問題に対応し、中長期的には九カ国条約に基づき、日本を含めた列強が中国に対して有している権利・権益を同時返還していくよう努め、中国の半植民地状態からの解放をサポートすること」
さらには、明治末期から昭和にかけて活動した自由主義者で、終戦後、大蔵大臣となり、のちに総理大臣も務めた石橋湛山が提唱した「小日本主義」である。
小日本主義とは、「台湾や朝鮮などの植民地や満州などの権益を放棄し、軍備拡張を抑えて、植民地や権益の防衛や維持に要する費用や軍備縮小により生み出された経費を、日本国内の産業振興にふり向けて立国を図る」という国家運営思想である。
2.「小日本主義の路線に転換し、台湾の中国への返還や朝鮮の独立を認め、アジア諸国の独立を促進するとともに、欧米列強への働きかけを行っていくこと」
石原莞爾は、結局のところ、非常に狭い視野でしか時代の流れ、国際情勢の変化を考察することができず、かつ、武力進出という時代遅れの狭い枠内でしかその対応策を考えることができなかった。
それが石原の限界であり、彼が行った満州事変という失敗の本質であった。
<感想>
今から見ると極めて正論の「小日本主義」が主流となっていたら、大東亜戦争は起こっていなかったに違いない
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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