病気療養のため、2月21日から休載していた日経新聞連載小説「ミチクサ先生」(伊集院静作、福山小夜画)が、11月11日(159回)から再開した。
以下は181回〜182回からの一部抜粋。
金之助は、毎日のように家に来る寺田寅彦がいつになく沈んでいる姿が気になって声をかけた。
寅彦は後に東京帝国大学に進学し、首席で卒業をしたほどの勉強家だった。かと言って勉強ひと筋のガリ勉タイプではなく、金之助が俳句を愉(たの)しんでいるのを見て、ぜひ教えて欲しいと申し出た。のちに牛頓(ニュートン)などの俳号を持ち、俳書まで出版する好奇心のかたまりだった。
「……実は先日、教頭から呼びだされて叱られました」
「ほう、どんなことでかね?」
「俳句などにうつつを抜かさず、きちんと勉強をしろと、そうでないと帝国大学へ行ってもついてはいけないぞ、と」
「君の目指すところが、さしずめ、あの築山のてっぺんだとしよう。なら誰もが真っ直(す)ぐここからてっぺんにむかって歩くはずだ。でも私は、そんな登り方はつまらないと思うんだ」
「つまらないんですか?」
「ああ、オタンコナスのすることだ」
そう言って金之助は笑った。
「真っすぐ登るのはオタンコナスですか?」
五高はじまって以来の優等生の寺田寅彦は金之助の顔をじっと見て訊(き)いた。見られている金之助もかつて、一高はじまって以来の秀才と呼ばれたことがあった。
「そうさ、つまらない。そういう登り方をした奴には、あの築山の上がいかに愉(たの)しい所かが、生涯かかってもわからないだろうよ」
「ではどう登ればいいのでしょうか?」
「そりゃ、いろんな登り方でいいのさ。途中で足を滑らせて下まで落ちるのもよし。裏から登って、皆を驚かせてやるのも面白そうじゃないか。寺田君、ボクは小中学校で六回も転校したんだ」
「いろんな寄り道ができて面白かったよ」
「寄り道ですか?」
「道草でもいいかな?」
「みちくさですか? 先生がそんなふうになさったとは想像もしませんでした」
「いろんな道の端で、半ベソを掻(か)いたり、冷や汗を掻いたりしていたんだ。"我楽多(がらくた)"とか"用無し"と呼ばれたこともあった。その時は少し切なかったし、淋(さび)しい気持ちになったが、そんな私をちゃんと守ってくれたり、手を差しのべてくれる人がいてね。その人の温りで寝た夜もあったよ」
「先生のみちくさは愉しそうですね」
寅彦が金之助をまぶしそうな顔で見つめ、目をしばたたかせていた。
「意外と、私は自分の来た道を認めたいのかもしれないね。江戸っ子特有の強がりかもしれない」
「先生」。寅彦が呼んだ。
「何だね?」
「ボク、少し力が湧いて来ました。みちくさをしてみたくなりました。物理学にも俳句があった方が良い気がします」
「そうかね、そりゃ、楽しみだ。一高に米山保三郎君という親友がいてね。彼がこう言っていた。わかりきったことをして何になる? あちこちぶつかりながら進む方がきっと道が拓ける、とね」
金之助は寅彦を見て静かにうなずいた。
<感想>
今やっていることも、金之助の言う、寄り道とか道草とでも考えれば、何てことはない。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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