【 松田道一宮内省御用掛:御進講メモ 】
2023/8/7放送のNHKスペシャル「発見 昭和天皇 御進講メモ~戦時下 知られざる外交戦~」をビデオで観た。
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=38995
以下は、上記Webサイトからの一部抜粋。
昭和史を書き換える新資料が発見された。日中戦争から太平洋戦争の時代、12年間にわたって、昭和天皇に国際情勢を進講し続けた宮内省御用掛・松田道一の膨大なメモである。外務省に集まる国際情報を毎週木曜日、509回進講。それが開戦、終戦をめぐる天皇の決断に大きな影響を与えたことが明らかになってきた。
太平洋戦争開戦前、ドイツ軍の進撃に「モスクワ陥落か」と何度も伝え、昭和天皇はドイツの覇権を前提に国際情勢を考えるようになる。それでも、松田はバチカンやスウェーデンなどの中立国情報も報告。天皇はローマ・カトリック教会の影響力に注目、「法王庁の反共主義と平和主義とは我国の国策にも副ふ」として、1942年バチカンと外交関係を樹立する。
しかし、終戦間際、日本はソ連を仲介とした交渉に望みを託し、バチカンによる和平工作がいかされることはなかった。翻刻したご進講メモをAIで分析、第一線の研究者が読み解き、国際情報戦と天皇という新たな視点から戦争を見つめていく。
ご参考1)研究ノート 昭和戦前期における宮内省御用掛と外交官ー外務省記録を中心にー
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000260134.pdf
外務省を退官した松田道一元大使が宮内庁御用掛に任じられた。これは、白鳥(情報部長)の言動をめぐる宮中上層部の衝撃は大きかったと同時に、宮中上層部は「宮中・府中の別」の原則という論理に影響することを懸念したと考えられる。かくして、松田は戦時期を通じて、終戦まで御用掛を務めることになった。
ご参考2)ソ連に幻想抱く日本の中枢に黙殺された和平工作:連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c07307/
ソ連仲介による終戦の幻想を抱いた大本営が、小野寺(信ストックホルム駐在陸軍武官)の工作を「邪魔(ノイズ)」として、ヤルタ密約に続き抹殺したのだった。スウェーデン王室から英国王室を介して大戦に幕を引けば、ソ連参戦を防止できた可能性もあっただけに痛恨の極みだ。
<感想>
松田道一御用掛は、ソ連を仲介とした交渉に望みを託したことに対して、懐疑的な見方をして「可咥(わらうべし)」とした。
もし、松田御用掛と小野寺信ストックホルム駐在陸軍武官が連携して終戦できていたらと思うと残念でならない。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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