元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、東大教授陣の働きかけ?

 

昭和天皇 秘められた終戦工作 】

 


 NHKプラスで、「昭和天皇 秘められた終戦工作」(初回放送日:2024年8月17日)を観た。
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/J5943L5L3X/

 


昭和天皇の「聖断」で終わった太平洋戦争。実はその2か月前、内大臣木戸幸一重臣たちを説得、御前懇談会で終戦の方針が決まっていた。木戸に終戦工作を助言した人物として最近注目されているのが、東大総長となる南原繁である。南原はアメリカとの直接交渉、天皇詔書による終戦を構想。しかし政府はソ連を介した和平に望みをかけ、原爆投下・ソ連参戦の末に終戦を迎えた。新発見の史料で知られざる終戦工作を明らかにする。』

 


ご参考1) 南原繁と現代 今問われているもの
鴨下重彦(東京大学名誉教授・賛育会病院院長・南原繁研究会代表)No.856(平成18年1月)号

https://www.gakushikai.or.jp/magazine/article/archives/archives_856/

 南原先生は法学部長に就任されておりました。そして学部長として最初に着手された仕事が、終戦和平工作でありまして、当時の法学部の有力教授、高木八尺、田中耕太郎、末延三次、我妻栄、岡義武、鈴木竹雄といった方々と、7人で密かに終戦工作を始められました。
 一度に全員が集まると目につきますから、最初は南原先生と高木八尺教授がいろいろ構想を練り、他のメンバーとは数人ずつ集まって原案を作った。終戦の時期は5月のドイツ降伏の時とする。無条件の降伏、しかし天皇制は維持する。アメリカを相手に交渉する。敗戦の収拾時の総理は宇垣一成陸軍大将に頼む。かなり具体的なことまでいろいろ決められて、近衛文麿若槻礼次郎東郷茂徳、木戸孝一といった重臣と密かに接触をされたということであります。
 これは、先生ご自身は「実を結ばなかった」と言われておりますが、昨年11月のシンポジウムに来て頂いた三谷太一郎東京大学名誉教授は、昭和天皇ポツダム宣言を受諾する過程で、この南原案は少なからざる影響があったと証拠を挙げておられました。

 


ご参考2)「七教授の終戦工作は自己満足か」(by立花隆)鈴木小太郎 2014年9月9日
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/30b3d740c8297420288eaa75dd59df3b

 

昭和天皇独白録』(一九九一年、文藝春秋)を読んだとき、考えが変った。その、「『ポツダム宣言』を繞ての論争」の項に、天皇自身の言葉で次のように記されていたからである。

 

外務大臣はこの案(立花注・バーンズ回答)ならば受諾出来るといひ、陸軍は出来ぬと云ふ、木戸は受諾すべしと解釈した。
 この頃の与論に付一言すれば、木戸の所に東大の南原〔繁〕法学部長と高木八尺とが訪ねて来て、どうして〔も〕講和しなければならぬと意見を開陳した。
 又有田八郎は直接英米に講和を申入れろといふ意見を木戸に云つて来た。(略)
 かくの如く国民の間には講和の空気が濃厚となつて来た」

 

 南原たちの働きかけが、ちゃんと天皇のもとにまで届いていたのである。そしてそれが天皇の心がポツダム宣言受諾の方向に最終的に動く理由の一つになっていたのである。

 


<感想>
東大法学部の南原法学部長や高木教授の働きが無ければ、昭和天皇のご聖壇が無かったかもしれないことを考えると、今こそ、日本の進むべき道についての真の(産)学官連携が望まれる。

 

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