【 大学入試問題で読み解く「超」日本史 】
先日、『大学入試問題で読み解く「超」世界史・日本史』(片山杜秀著、文藝春秋)を読んだ。
以下は、一部抜粋。(その6)
次の文章を読んで、次の問いに答えなさい。(問1から問4まですべてで400字以内)
美濃部達吉の(a)天皇機関説は、1910年代の憲法論争を経ながら、学界はもとより政界・官界・司法界など広く通説として定着していた。にもかかわず、1934年秋ごろから軍部・右翼などにより天皇中心の国家体制に反する学説として批判が加えられた。1935年には、美濃部は貴族院で「学匪」と弾劾され、不敬罪で告発されることになる。これを機に広範で強力な機関説排撃運動が展開され、政府は、同年、国体明徴声明を出し、天皇機関説を否認した。
(問1)文中にある憲法論争にも触れながら、(a)天皇機関説を説明しなさい。
天皇機関説は主権が法人としての国家にあり、天皇は国家の最高機関として憲法の条規に従って統治権を行使する必要があるとして、政党内閣を正当と説く憲法解釈であった。主権は神聖不可侵の天皇にあり、天皇の権限は無制限とする上杉慎吉の天皇主権説と対立した。
(問3)天皇機関説事件は学問への統制を本格化させる契機となった。これに先立って起きた大学の学問自治が侵害された事件をあげて、その内容を説明しなさい。
滝川事件。京大法学部教授滝川幸辰の刑法学説が右翼から自由主義的と非難されると、鳩山一郎文相は滝川を休職処分とした。法学部の教授会はこれに抵抗したが、処分は撤回されなかった。
(問2)(問4)省略(一橋大学 2014年度前期 日本史)
<感想>
どうみても天皇主権説より天皇機関説の方が合理的な考え方だと思われるが、恐らく当時の時代背景にはそれを許さない空気が流れていたに違いない。悲しい歴史を繰り返すことのないようにしたい。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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