【 大学入試問題で読み解く「超」世界史 】
先日、『大学入試問題で読み解く「超」世界史・日本史』(片山杜秀著、文藝春秋)を読んだ。
以下は、一部抜粋。(その2)
【問題2】宗教改革が「国民」をつくった
下線部B[宗教改革]に関連して、ルターの主張した宗教改革が、ドイツでは農民戦争以降、諸侯と結びついて進められていった理由を、所定の欄の範囲内[100字程度]で説明しなさい。(慶応義塾大学経済学部 2013年度 世界史)
「農民戦争に際して現世の秩序を神が定めたものとしたルターの教えは諸侯に都合のよいものであり、皇帝権と結びついていたカトリックから離れて領邦教会制を樹立することで、諸侯が皇帝から自立できるため。」
【問題3】オランダ400年史から近代が見える
ヨーロッパ大陸のライン川・マース川のデルタ地帯をふくむ低地地方は、中世から現代まで歴史的に重要な役割をはたしてきた。この地方では早くから都市と産業が発達し、内陸と海域をむすぶ交易が展開した。このうち16世紀末に連邦として成立したオランダ(ネーデルラント)は、ヨーロッパの経済や文化の中心となったので、多くの人材が集まり、また海外に進出した。近代のオランダは植民地主義の国でもあった。
このようなオランダおよびオランダ系の人びとの世界史における役割について、中世末から国家をこえた統合の進みつつある現在までの展望のなかで、論述しなさい。解答は回答欄に20行以内[600字以内]で記し、かならず以下の8つの語句を一度は用いなさい。
グロティウス コーヒー 太平洋戦争 長崎 ニューヨーク ハプスブルク家 マーストリヒト条約 南アフリカ戦争
(東京大学文科 2010年度前期 世界史)
「毛織物業や北海貿易で商工業が発展していたネーデルラントは、15世紀にハプスブルク家領となった。16世紀後半スペインのカトリック強制政策に反発したカルヴァン派が独立戦争を起こし、北部7州がオランダとして独立した。
17世紀に入ると東インド会社を設立し、バタヴィアを拠点に台湾・長崎などとのアジア内貿易に参加する一方、香辛料貿易を独占し、本国との中継地としてアフリカ南端にケープ植民地を建て、北米との貿易も独占した。
アムステルダムが国際金融の中心となり、重商主義を展開するオランダが覇権国になる中、グロティウスは国際法を理論化し、フランスのデカルトもオランダで活躍した。
だが航海法の発布を機に始まったイギリスとの戦争に敗れ、北米植民地の拠点はニューヨークと改称され、覇権国の地位も失った。
その後19世紀のウィーン会議でケープ植民地を割譲した上、のちの南アフリカ戦争でオランダ家ブール人国家もイギリスに奪われた。
この間オランダは18世紀にジャワ島を征服し、19世紀にはコーヒー・蘭などの強制栽培制度を導入して東インド地域の植民地化を進めた。しかしこの地域は、南方資源を狙う日本との太平洋戦争で占領され、戦後インドネシアとして独立した。
戦後のオランダは、ヨーロッパの復興と統合に積極的に関与してECSCやEECの原加盟国となり、1992年には国家をこえた統合を目指すEUの成立に関するマーストリヒト条約調印の地ともなった。」
オランダとアメリカの共通点は他にもあります。ヨーロッパの規制の秩序から離脱し、理想郷を求めたプロテスタントが建国した人口国家であることです。宗教的な使命感だけを共有し、出身地や身分、民族は問わない。だから、オランダもアメリカも進取の精神に富み、合理主義的で、理念を先行させて、常に社会実験をしているようなところがあります。今のオランダも、家族や社会についての考え方は常に実験的で世界に先んじているのではないですか。
<感想>
プロテスタントが建国した人口国家としてのオランダとアメリカ。今日では、オランダのプロテスタント比率は低下したようだが、相対的な国力は高水準を維持し続ける底力は素晴らしいものと思われる。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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