元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、藤圭子逝去から早10年?


宇多田ヒカルの母:藤圭子


 2013/8/22、宇多田ヒカルの母、藤圭子が逝去されて10年。

 

 以下は、「流星ひとつ」(沢木耕太郎著、新潮社、2013/10/10発行)からの一部抜粋。(その1)

 


  後記

 

 そのとき私は31歳だった。
 当時の私は、いくらか大袈裟に言えば、日夜、ノンフィクションの「方法」について考え続けていた。


 温泉宿の滞在が二週間ほど過ぎたときのことだった。午後、執筆に疲れ、一休みするため部屋のテレビをつけると、ワイドショーのような番組をやっており、そこで「藤圭子引退!」というニュースが取り上げられていた。

 

 私はそれを見て、強い衝撃を受けた。私はその数ヵ月前に、偶然、藤圭子と会っていた。その場に共通の知人がいたことから言葉をかわすこともできていた。

 

 そのときのことだ。知人がトイレに立ち、藤圭子と二人で話をするという状況が訪れた。話の内容はとりとめもないことだったと思う。しかし、その最後に、ぽつりと藤圭子が言ったのだ。

 

「もうやめようと思うんだ」

 

 それは、話の流れからすると、その前に「歌手を」、あるいは「芸能界を」とつくはずのものだった。私は思わず訊ねていた。

 

「どうして?」

 

 そこに、知人が戻ってきたため、話はそれまでになった。

 

 ワイドショーのニュースを見て驚いたのは、言葉にすれば、こういう思いだったろう。

 

 <あのときのあの言葉は本物だったのだ・・・・・・>

 

 そして、次にこう思った。

 

 <あのとき得られなかった、「どうして?」という問いに対する答えを手に入れたい・・・・・・>

 

 私は即座に伊豆の山を降り、知人を介して藤圭子に直接連絡を取ることに成功すると、インタヴューをさせてもらう約束を取り付けた。

 


 その過程で、私は藤圭子が語る話の内容に強く心を動かされることになった。とりわけ、彼女が芸能界を「引退」したいと思う理由には、私がジャーナリズムの世界から離れたときの思いと共通するものがあった。

 


<感想>
 沢木耕太郎の『流星ひとつ』。
 藤圭子逝去10年に当たり、改めて、宇多田ヒカルについて触れてみたい。

 

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