2013/8/22、宇多田ヒカルの母、藤圭子が逝去されて10年。
以下は、「流星ひとつ」(沢木耕太郎著、新潮社、2013/10/10発行)からの一部抜粋。(その2)
後記
やがて藤圭子はニューヨークで宇多田照實氏と知り合い、結婚し、光さんというお嬢さんを得た。さらに、その光さんが成長すると宇多田ヒカルとして音楽の世界にデビューし、藤圭子に勝るとも劣らない「時代の歌姫」として一気に「頂」に登りつめた。私は藤圭子が望んだものの多くを手に入れたらしいことを喜んだ。
この『流星ひとつ』は、コピーを一部とっただけで、そのまま長いあいだ放置されたままだった。
ところが、この8月22日の昼前、思いがけない人から「藤圭子が新宿のマンションの13階から投身自殺をした」という知らせが入った。
私はあらためて手元に残った『流星ひとつ』のコピーを読み返した。そこには、「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげく投身自殺をした女性」という一行で片付けることのできない、輝くような精神の持ち主が存在していた。
「これを、宇多田ヒカルさんに読ませてあげたいと思いました」
宇多田ヒカルとほぼ同じ年齢の若い女性である武政さんの言葉は私を強く撃った。自分もどこかで同じことを感じていたように思ったからだ。
私にとって宇多田ヒカルはやはり気になる存在だった。
初めて歌声を聴いたときも驚いたし、19歳で母や祖母や伯母と同じように早い結婚をしたと知ったときも驚いた。その四年後に母や祖母や伯母と同じように離婚したことを聞いて、どのような巡り合わせなのかと心を痛めた。
さらに28歳のとき、「もっと人間活動をしたい」と音楽活動を休止したのを知って、みたび驚かされた。藤圭子が「別の生き方をしてみたい」と芸能界を引退したときと同じ年齢であり、同じような理由だったからだ。
<感想>
19歳で結婚(初婚)その後離婚、28歳で(一旦)活動休止、31〜32歳で出産まで同じ歩みの親と子。
その後、母の死を乗り越えての復活は、とても喜ばしい。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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