2013/8/22、宇多田ヒカルの母、藤圭子が逝去されて10年。
以下は、「流星ひとつ」(沢木耕太郎著、新潮社、2013/10/10発行)からの一部抜粋。(その3)
後記
藤圭子の死後に発表された宇多田ヒカルの「コメント」の中に、《幼い頃から、母の病気が進行していくのをみていました》という一文がある。
もしそうだとすれば、宇多田ヒカルはごく小さい頃から、母親である藤圭子の精神の輝きをほとんど知ることなく成長したことになる。
宇多田ヒカルは、かつて自身のツイッターにこんなことを書いていたという。
《「面影平野」歌うカーチャンすごくかっこ良くて美しくて、ああくそどうにかあれダウンロード(保存?)しときゃよかった・・・・・・》(追記:https://twitter.com/utadahikaru/status/220663205247197184)
『流星ひとつ』は、藤圭子という女性の精神の、最も美しい瞬間の、一枚のスナップ写真になっているように思える。
28歳のときの藤圭子がどのように考え、どのような決断をしたのか。もしこの『流星ひとつ』を読むことがあったら、宇多田ヒカルは初めての藤圭子に出会うことができるのかもしれない・・・・・・。
私の執筆ノートに、「あとがき」の断片ではないかと思われる文章が残されている。
美しかったのは「容姿」だけではなかった。「心」のこのようにまっすぐな人を私は知らない。まさに火の酒のように、透明な烈しさが清潔に匂っていた。だが、この作品では、読み手にその清潔さや純粋さが充分に伝わり切らなかったのではないかという気がする。私はあまりにも「方法」を追うのに急だった。だからこそ、せめてタイトルだけは、『インタヴュー』という無味乾燥なものではなく、『流星ひとつ』というタイトルをつけたかったのだ。それが、旅立つこの作品の主人公に贈ることのできる、唯一のものだったからだ。
2013年秋 沢木耕太郎
本文)四杯目の火酒
「あの <面影平野> がヒットしなかったのは、あたしが詩の心がわからなかったから・・・だけじゃないんだよ。そう思いたいけど、やっぱり、藤圭子の力が落ちたから、なのかもしれないんだ」
「喉を切ってしまったときに、藤圭子は死んでしまったの。いまここにいるのは別人なんだ。別の声を持った、別の歌手になってしまったの・・・」
<感想>
宇多田ヒカルには、『流星ひとつ』に、最も美しく、輝いていた母を見い出して欲しいと思う。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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