【 宇多田ヒカル:8年半ぶりのアルバムFantome 】
2013/8/22に、宇多田ヒカルの母、藤圭子が逝去されて10年。
以下は、「宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌」(杉田俊介著、毎日新聞出版)からの一部抜粋。(その3)
第六章 幽霊的な友愛のほうへ
幽霊的な友愛の原理
『Fantome』は、全身の骨格としては、死者たち(母親/東日本大震災の死者たち)に向き合ったいくつかの楽曲が背骨としてまずあり(一曲目の「道」、三曲目の「花束を君に」、七曲目の「真夏の通り雨」、十一局目の「桜流し」)、その合間合間に、他のアーティストたちとのコラボ曲が内臓器官のように配置されている、という形になっている。そして背骨以外の楽曲たちにおいては、様々な曲調や新機軸の歌詞が試されている。
インタビューの中で、宇多田は次のようなことを言っている。
これは母への思いを書いた曲である。しかし、娘として母に向き合っているだけでは、なかなか歌が完成してくれなかった(先ほども触れたように、母の死後には、もう二度と音楽を作れないかもしれない、と感じていた時期もあったし、自死遺族の会合に通っていた時期もあったのである)。
そんなときに、別のイメージが重ねられていった。つまり、過去につらい恋愛をした女性が悲哀を思い返している、救えなかった人を置いてきてしまって罪悪感を抱えている、今は子どももいる、でも「あの人は、今どうなってしまったんだろう」とまだひきずっている。そのような一人の女性のイメージを、娘である宇多田自身と母の関係に重ねていくことで、ようやく、この曲は完成したのです、と(インタビュー、『ぴあMUSIC COMPLEX』vol.6)。
<感想>
個人的な話を普遍的な世界に昇華させた、宇多田ヒカルの作品が好きだ。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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