【 佐藤中将 vs 牟田口中将 】
今、高木俊朗著「抗命 インパール2」(文春文庫)を読んでいる。
以下は、冒頭の「秘史の録音」からの一部抜粋。
佐藤中将は前線の司令部を去るにあたって、師団の将兵に次の離任の辞をおくった。
(略)
昭和十九年七月十日 師団長 佐藤中将
(略)
電文はさらに次のように非難の文字をつづっている。
(略)
《今や第一線各部隊は、戦うことより自滅を防ぐことを第一義として行動しつつあり。貴官らはこれを無理なりと思うや。糧秣を得、弾薬を装備して、はじめて作戦は成立するものなり。戦略単位の大兵団に対し、あたかも分隊小隊に対するごとき実行不可能なる、でたらめなる命令を与え、兵団がその実行を躊躇したりとて、軍規を盾にこれを責むるがごときは、部下に対して不可能なることを強制せんとする暴虐にすぎず。いずこに統帥の尊厳ありや。
烈兵団のごとき、コヒマにおいて刀折れ矢尽き糧絶うるまで勇戦奮闘したる軍隊が、さらに三千名の傷病兵を帯同し、雨中の転進一百里におよび、補給を受けたるものはわずか二日分糧秣にすぎず。
飢餓と栄養失調、マラリア、下痢、脚気などのため途中死亡せるもの、実に五百名におよべるほか、健康者はほとんどなき状態において、なお補給せずして、兄らはパレル要塞を攻撃せしめんとする意志なりや。兵団の幾名が敵陣前に到着し得ると思考するや。
今回の作戦において、将兵一同の痛感せるものは、各上司の統帥が、あたかも鬼畜のごときものなりと思うほか、何ものをも印象をうけず。小官は今、決断立って尊厳なる統帥確立のため、各上司の猛省を促さんとする決意なり》
佐藤中将はインパール敗戦の責任を追及する決意を明らかにしている。この時以来の牟田口対佐藤の抗争は、戦後にまでつづいた。
<感想>
牟田口中将が主導したインパール作戦において、烈師団長佐藤中将の「将兵の生命こそ至上である」として、補給なき最前線コヒマから独断で撤退して、師団長を解任された。
佐藤中将の「各上司の猛省を促さんとする決意」に共感する。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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