元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、バロン西中佐以来92年振りのメダル獲得?


バロン西中佐以来のメダル獲得 】

 


 2024/7/29、パリオリンピックで、馬術としては、「バロン西」こと西中佐以来、92年振りに、メダルを獲得した。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240729/k10014528961000.html


 以下は、東洋経済ONLINEの『硫黄島で死んだ「日本人金メダリスト」の悲劇 米兵にも愛された「バロン西」を知ってますか』からの一部抜粋。
https://toyokeizai.net/articles/-/131144?page=4

 


Q5. なぜ「金メダリスト」が、戦場に赴いたのですか?

 

バロン西」こと西中佐は、「戦車第26連隊の連隊長」として、23両の戦車を率い、1944年6月に硫黄島に派遣されました。

 

当時、オリンピックの金メダリストへの兵役免除といった優遇制度はありません。それ以前に彼は、騎兵所属という「超エリートの職業軍人」でした。いかに金メダリストとはいえ、戦地への派遣は避けては通れない道だったのです。

硫黄島での「バロン西」は、愛用のむちを手に乗馬用の長靴を着用し、兵士からの人気も高かったそうです。

 


ご参考1)作家・梯久美子が『散るぞ悲しき』を書いた2つの理由 https://www.nippon.com/ja/people/bg900051/?pnum=1

壕から出たとき、この島で栗林さんがどう死んだかではなく、どう生きたかを書こうと決心しました。

それらが『公』の動機だとすると、もうひとつ私的な動機もありました。それは、私の父のことです。父は少年飛行兵で、出撃しないまま17歳で終戦を迎え、その後自衛官になりました。・・・


ご参考2)栗林忠道中将:硫黄島の戦いの今日的意味
http://tsuru1.blog.fc2.com/blog-entry-1399.html

 


<感想>
バロン西中佐も草葉の陰から、日本の馬術団体のメダル獲得を喜んでおられるに違いない。

 

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