元証券マンが「あれっ」と思ったこと

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あれっ、田中新一中将が見る石原莞爾の世界観?


【 田中新一:石原莞爾の世界観 】

 


 以下は、「文藝春秋100周年 文藝春秋が見た戦争と日本人」(令和4年8月)より

 


部下から見た石原莞爾の哲人的生涯
「世界最終戦論」とは何だったのか

「情熱の持続とエネルギーの集中的活用のできた生涯」

 

 現在でも多くの支持者がいるカリスマ的軍人石原莞爾(1889〜1949)。山形県生まれの石原は、陸軍士官学校を卒業後、1931年の満洲事変を板垣征四郎
ともに主導した。石原は、アジアの盟主日本と欧米の盟主アメリカが「最終戦争」を戦う、と説いた。その根底にあったのは、日蓮主義者の田中智学の教えであった。

 

 その石原莞爾の人となりを「最終戦争論」の影響を受けた部下の田中新一(1893〜1976)が戦後にな
って綴った。田中は 石原からの信頼を得て満洲事変、宇垣一成内閣誕生阻止などに奔走していた。しかし、石原と田中は日中戦争の方針をめぐって不拡大方針(石原)拡大方針(田中)の立場に分かれ対立したため、関係が途絶えることになった。

 

 石原は、関東軍参謀副長に転出し、軍中枢に戻ることなく1941年に予備役になる。一方の田中は、その後も中枢で活躍し、対米開戦の際は参謀本部第一部長とて強硬論を唱えた。

 

 

 以下は、「文藝春秋」1965年2月号に掲載された、田中新一(陸軍中将)の「石原莞爾の世界観」からの一部抜粋

 

 筆者は彼を極めて高く評価する。というのはまず彼が全生涯を通じて鮮明に雄渾で説得力に富んだ未来像をもちつづけたことだ。それは宗教的信仰と彼独自の戦争史観を土台とし、この両者を融合して樹立された彼の最終戦争観に立脚している。それらに対しては勿論多くの批判はあるべきも、独自の世界観確立それ自体に多くの魅力を感ぜざるをえない。

 

 第二にはこのビジョンの実現を目ざし、それに全生涯をかけたということである。彼の所在が東京たるとドイツたると満洲たるとを問わず、所信実現のためあらゆる機会を活用してやまなかった情熱の持続と、エネルギーの集中的活用を、筆者は高く評価せざるをえない。

 

 彼は心理的には唯物主義の世界に住んでいないで、精神生活を楽しんでいる。むしろ物心一如の世界に住んでいたとみるべきではなかろうか。不可解なのは死の直前における彼の態度である。

 

 彼は、最終戦争が東亜と欧米との両国家群の間で行われると予想した見解は、甚だしい自惚れであり、明らかに誤りだった、と書き残しているが、果たしてそうだろうか。現に東亜の代表として中共が立ち上がっているではないか。彼を地下から起して中国問題をきいてみたい。

 


<感想>
田中中将が石原莞爾を高く評価する背景には、日中戦争を巡る自身の拡大方針についての後悔があったようにも思われる

 

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