元証券マンが「あれっ」と思ったこと

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あれっ、特攻を拒否した理由?

 

【 特攻を拒否した理由 】

 


  先日、「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(鴻上尚史著、講談社現代新書)を読んだ。


 以下は一部抜粋。(その2)

 


特攻を拒否した美濃部少佐 

 

 1945(昭和20年)2月下旬、木更津の海軍航空基地で、連合艦隊司令部により作戦会議が行われました。

 

 末席にいた29歳の美濃部正少佐が立ち上がりました。階級として、この会議では一番下位の飛行隊長でした。

 

「劣速の練習機まで狩り出しても、十重二十重のグラマンの防御陣を突破することは不可能です。特攻のかけ声ばかりでは勝てるとはおもえません」

 


 美濃部正少佐は、芙蓉部隊という夜間攻撃専門の部隊の隊長でした。厳しい訓練で知られ、「これができなければ、特攻に出すぞ」と部下を叱咤しました。

 

 大西中将の部下でしたが、徹底して特攻を拒否、部下を誰も特攻に出しませんでした。その代わり、夜間襲撃の激しい訓練を積み、芙蓉部隊は確実に戦果を挙げました。

 

 美濃部少佐は、死の1年前に著した私的回想録『大正っ子の太平洋戦記』(2017年復刻版が出ました)にこう書きました。

 

「戦後よく特攻戦法を批判する人があります。それは戦いの勝ち負けを度外視した、戦後の迎合的統率理念にすぎません。当時の軍籍に身を置いた者には、負けてよい戦法は論外と言わねばなりません。私は不可能を可能とすべき代案がないかぎり、特攻またやむをえず。と今でも考えています。戦いのきびしさは、ヒューマニズムで批判できるほど生易しいものではありません」

 

 美濃部氏にとって、「不可能を可能とすべき代案」とは、夜間襲撃の芙蓉部隊だったということです。

 


ご参考)特攻作戦に異議を唱えた若き少佐 「異色の部隊」の歴史、語り継ぐ営み
https://wararchive.yahoo.co.jp/wararchive/kyt2.html

 


<感想>
徹底して特攻を拒否して、部下を誰も特攻に出さず、代案として夜間襲撃の芙蓉部隊を率いた美濃部少佐のような発言をしてみたい。

 

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