元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、不死身の特攻兵の反抗?

 

【 不死身の特攻兵の反抗 】

 


 先日、「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」(鴻上尚史著、講談社現代新書)を読んだ。

 以下は一部抜粋。

 


 滑走路脇の指揮所に佐々木が行くと、猿渡参謀長が待っていた。

 

「今日の直掩隊は必ず、敵艦船の上空まで誘導する。そして、佐々木の突入は必ず確認することになっている。晴れの舞台だ。万朶隊の名に恥じないよう、立派に体当たりをするんだ」

 

 猿渡参謀長はしわがれ声で威圧的に言った。

 

 第四航空軍から特別に来ていた佐藤勝雄作戦参謀が話をつづけた。

 

「佐々木伍長に期待するのは、敵艦撃沈の大戦果を、爆撃でなく、体当たり攻撃によってあげることである。佐々木伍長は、ただ敵艦を撃沈すればよいと考えているが、それは考え違いである。爆撃で敵艦を沈めることは困難だから、体当たりをするのだ。体当たりならば、確実に撃沈できる。この点、佐々木伍長にも、多少誤解があったようだ。今度の攻撃には、必ず体当たりで確実に戦果を上げてもらいたい」

 

 天皇に上聞した以上、佐々木は生きていては困る。後からでも、佐々木が特攻で死ねば、結果として嘘をついたことにはならない。そのまま、佐々木は二階級特進することになる。上層部の意図ははっきりしていた。

 

 佐々木は答えた。

 

「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも言って、爆弾を命中させます」

 

 伍長が大佐や中佐に向かって反論するのは、軍隊ではあり得なかった。軍法会議の処分が当然のことだった。

 

 さらに、軍隊用語では一人称を「自分」と言わなければいけなかった。佐々木は、それを「私」と言った。それは、佐々木の始まりが軍隊ではなく通信省航空局の航空機乗員養成所だったからだ。腹を据えて反抗しようという時、佐々木は軍隊ではなく、養成所出身ということを意識したのだ。

 


[ 表紙の帯 ]
1944年11月の第一回の特攻作戦から、9回の出撃。陸軍参謀に「必ず死んでこい!」と言われながら、命令に背き、生還を果たした特攻兵がいた。

 

僕はどうしても、この人の生涯を本にしたかったー-鴻上尚史

 


[ おわりに ]
 21歳の若者が、絶対的な権力を持つ年上の上官の命令に背いて生き延びることを選んだ。それがどんなに凄いことなのか。

 

 佐々木さんの存在が僕と日本人とあなたの希望になるんじゃないか。

 


<感想>
絶対的な権力の前にあっても、「是あり」と確信できる場合には、自分の是を貫き通したいと思う。

 

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