元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、山一證券の自主廃棄後の社内調査報告書?

 

【 1997年11月:山一證券の自主廃棄 】


 週末に、WOWOW山一證券の「しんがり」を観た。

 以下は、『しんがり 山一證券 最後の12人』著者の清武英利氏の2017/12/11のブログからの一部抜粋。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53653?


第一次報告書の概要

〈結論〉
山一證券は「国内の簿外債務の発生」に関し、10名(役職名は'91年12月当時)に対して損害賠償請求の法的手続きをとるべきである。
横田良男(代表取締役会長)、行平次雄(代表取締役社長)、延命隆(代表取締役副社長=故人)、石原仁(代表取締役副社長)、三木淳夫(代表取締役副社長)、高木眞行(顧問・元専務取締役)、小西正純(常務取締役)、白井隆二(常務取締役)、礒守男(取締役)、木下公明(企画室付部長)=このうち木下を除く9人に訴訟が起こされた。

 

〈損害賠償請求の原因となる経緯〉
山一證券事業法人本部では1987年頃から、顧客企業に対し一任勘定で利回り保証を約した勧誘(ニギリ)で資金導入を図るケースが増加した。
「ニギリ」は、'88年頃から組織的に行われ、損失が生じるものも増加し、損失を先送りする「飛ばし」も行われるようになった。'90年6月頃からファンドの処理に関しては、
1)客とトラブらない、2)粛々と引っ張れ、3)営業担当者の責任にはしない、という方向で、損失補填や「飛ばし」が続けられた。
しかし、'91年夏、証券不祥事が発覚、損失補填が強い社会的非難を浴び、顧客企業からファンド解消の要求が相次ぐようになり、「飛ばし」による先送り方針も維持できない状況に追い込まれていった。

 

〈行為1〉行平、延命、石原、三木、高木、小西、白井、礒、木下は'91年11月頃から'92年1月頃にかけて、共謀の上、顧客企業との間で引き取りにつき争いになっていた含み損のある有価証券を引き取ることを決定した。この決定に基づき、7社が保有していた含み損のある有価証券を、ペーパー会社に帰属させるというスキームを用いて引き取った。これにより、約1207億円('92年3月末、国内分のみ)の被害を被った。

 

〈行為2〉会長の横田はこれらの行為を知りうべき立場にあり、取締役としてこれを阻止すべき法的義務(監視業務)を怠った。

 


(ご参照)1998年4月の「社内調査報告書」
https://kunihiro-law.com/files/open/writing/555d7e5511jn4cpn563ju_pdf.pdf

 


<感想>
 1997/11に自主廃棄した、当時の4大証券の一つ山一證券
 「しんがり」は当時を思い出させてくれる見応えのある作品だった。

 

----------------------------------------------------------------------
元証券マンが「あれっ」と思ったこと
発行者HPはこちら http://tsuru1.blog.fc2.com/
----------------------------------------------------------------------