【 白川道:作家となるきっかけ 】
二十数年振りに、白川道著「流星たちの宴」(新潮文庫)を読んだ。以下は、後書きの抜粋。
後書き
もう七、八年になる。放蕩と無頼ともいえる日々を送っていた私に、ある方が白紙の原稿用紙を送ってくださった。白い桝目が目につけば、そのうちに書いてみたくなるから。長らく出版の方面に携わっておられたその方はただ笑うばかりだった。二十数年余り前の与太学生以来、私にとっての本は、まったく別世界の異物ともいえる存在になり果てていた。いったい私のどこに目をつけてそう言ってくださったのか。
以来、手つかずのまま、白紙の原稿用紙は私の部屋の片隅で眠りつづけた。
数年前、思うところがあり、私は初めて白紙の原稿用紙と対峙した。
その頃の私は、放蕩と無頼のつけともいうべき裁判を控えての日々だった。
何度桝目を埋めても、その方に原稿をつき返された。あまりに未熟だったからだ。そして、何度目か。初めて最後まで原稿に目を通していただいた。その時の喜びはいまだに忘れることができない。
その時を境に、私は小説というものを初めて真剣に考えてみるようになった。読書家とは比ぶべくもない量ではあるにせよ、乱読に精を出してみた。
結論からいえば、面白さというものは人によって根本的に異なるということだった。生まれも育ちも、そして生きてきた環境もが人それぞれに異なっている以上、そればむしろ当然というべきことかもしれない。
そして私はこう考えた。自分がこの先小説を書きつづけられる僥倖に浴すなら、自分が面白いと感じられるただそれだけを書きつづけていこう、と。
私は本書の中でこう書いた。不必要なものは自然と消えてゆく。永らえられるものではない、と。私がこの道で糊口を凌ぐことができるどうか。それはきっと読者諸兄が決めてくれる。面白いと感じられぬものを読者があえて購入してまで手にするはずもないのだから。
この小説は一部の事実を基にした完全なフィクションである。しかし、登場人物には限りなく本人に近いモデルも存在する。この小説により、もしその方々に誤解を生じさせるようなことがあるとしたら、私の筆の未熟さが由ということでお許し願いたい。
編集の方には、上梓するにあたっての紋切り型の謝礼口上はやめにしようと言われた。だが、あえて次の方々にはこの場を借りて深く御礼を申し上げあげたい。その方々のご好意がなければ、こうして私が小説を書くという幸せを味わうことは決してなかったであろうから。
白紙の原稿用紙を送って下さった久米旺生氏。陰から支えてくださった石川好氏。本著のモデルにもさせていただいた、理子(本名は伏せます)。そしてあえて書き記しませんが、私もそうだと思われている私の周りのすべての方々に。
(1994年 盛夏)
ご参考)白川道さん”生みの親”が思い出語る
https://www.zakzak.co.jp/smp/society/domestic/news/20150418/dms1504181700010-s.htm
<感想>
もし、久米旺生氏が原稿用紙を送らなかったら、白川道という作家は生まれなかった。
放蕩と無頼といえる日々を送り、その後自分が面白いと感じられることだけを書きつづけられた白川道氏は幸せだったに違いない。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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