元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、必要に迫られたコミカルなDJ?

 

中島みゆき:コミカルなDJの理由 】

 


 伝説のドキュメンタリー番組が、18年振りに「新プロジェクトX〜挑戦者たち〜」として、復活した。主題歌は、前回同様、中島みゆきの「地上の星」。

 

 「NHK MUSIC SPECIAL 中島みゆき ~映像に命をふきこむ歌~」の冒頭では、黒部ダムからの2002年紅白の中継が放映されていた。
https://www.nhk.or.jp/music/programs/492624.html

 

 一方、高校時代に聞いた、中島みゆきオールナイトニッポン。歌手として大人しくて暗い印象とラジオパーソナリティとして明る過ぎた印象のギャップの理由は何だったのか。

 

 添付のWebサイト『出会いの記憶――「中島みゆきオールナイトニッポン」のこと』を読んで、何となくその答えを見つけたような気がした。
https://soiree.belle-neige.net/essays/297

 

 以下は一部抜粋。

 


大学2年の1979年秋頃――ということはこの番組がスタートして半年ぐらいの頃、ということになるが――手持ち無沙汰な深夜に、ラジオのチューニングをあれこれといじっていると、たまたま聞こえてきたハイテンションのけたたましい女性DJの声に、まず度肝を抜かれた。

 


それまでは中島みゆきといえば「時代」ぐらいしか知らず、あまり若い女性らしくなく、真面目でしかつめらしい曲を歌う歌手というぐらいの漠然としたイメージしか持っていなかったので――その認識の浅さについては、まったく私の不明を恥じるしかないのだが――再び驚かされた。

 


番組の最後に読むシリアスな葉書と、その後にかかる彼女自身の曲とで、この番組のDJが中島みゆき本人であることは頭では理解できたが、それからもしばらくは、DJとしての彼女と歌手としての彼女とのあいだに存在する巨大なギャップに戸惑いつつも、どちらかといえば前者のコミカルな側面にしだいに惹かれて、私はこの番組を毎週、月曜深夜に聴くようになっていった。

 


おそらくこの時期、1980年の春頃に集中的に、上記のようなエピソードを通じて、中島みゆきの――あのコミカルなDJとバランスを取りながらでなくてはむしろ支えきれないような――限りなくシリアスな「重さ」を、私は本当に知ったのだと思う。

 

とりわけ、「最後の葉書」のコーナーで、口調や声のニュアンスからもはっきりと伝わってくる、私たち、顔の見えないリスナー一人ひとりに、徹底的に真摯に、誠実に関わってこようとする彼女の姿勢――その迫力に圧倒され、自らの世界観の根底的な変容を迫られ、そして自らの生への限りない励ましを受け取ったこと――それだけは、今も忘れようのない記憶として残っている。

 


中島みゆきはこの37年間変わることなく、私に、究極的にはただひとつのこと――この私は、この世界の中で何処にいるのか、そして何処へゆくべきなのかということ――を歌い、語り、そして問いつづけてきた。

 


<感想>
歌手として常に真摯に、誠実に関わろうとする自分のバランスを取るために必要だった、アンチテーゼ的「コミカルなDJ」と理解すると何となくすっきりした。

 

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