元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、出会いから直木賞受賞までほぼ20年?

【 作家と編集者の出会い〜直木賞受賞まで 】


 以下は、佐藤正午著「きみは誤解している」(岩波書店)の付録部分から。


 1999年の春に岩波書店の坂本という人から電話がかかってきた。(略)実は学生時代に『ビコーズ』を読んで以来、佐藤さんの本はずっと読み続けています、明日お会いするのが楽しみです、と編集者がお世辞を言って電話を切った。岩波書店か、と僕は受話器を置いて思った。『広辞苑』を作ってる出版社だな。

 翌日の午後、佐世保駅前のホテルの喫茶室で坂本編集者と会った。テーブルをさはんで向かい合うなり彼はこう言った。おめにかかれて良かったです。実は以前から書き下ろしの長編小説をお願いするつもりでいました、今日うかがったのはその話です、突然で申し訳ありませんが、書いていただけますか?もちろん、と僕は落ち着いて答えた。いいですよ。べつに『広辞苑』の編纂に加わってくれと頼まれたわけではないのだし、突然だろうが何だろうが小説家が小説の依頼をうけるのはごく自然なことで驚くにはあたらない。
(略)

 二度と会うこともないだろうと思っていた編集者はその年の秋にまた佐世保にやって来た。春に会ったときと同じホテルの喫茶室で向かい合うなり彼はこう言った。


 お預かりした短編は五本ともじっくり読ませていただきました。これから申し上げることは何度も何度も読み返した末の結論です。佐藤さん、これをうちで本にしましょう。『きみは誤解している』というタイトルで短編集を一冊作りましょう。もし彼が本気で言っているのなら、それはそれで願ってもないことだと僕は思った。帰りの飛行機の時間までどれくらい余裕があるのか訊ねてみると、いくらでもあります、今回は泊まりがけで来ています、と坂本君は応えた。ところで佐藤さん、今日は競輪はやってないんですか?
(略)

 『きみは誤解している』は競輪を題材にした短編集である。


 以下は、添付『担当編集者たちが語る「佐藤正午」』より。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/450

坂本 佐藤さんとお会いしたのは1999年の4月28日です。

 編集部に異動になってから、とにかく会いに行く機会をつかもうと、虎視眈々と狙っていました。先ほど稲垣さんがおっしゃったように、佐世保はすごく遠いし、企画も決まっていないのに雲をつかむような話で出張させてくれと言っても上司は許してくれません。

 そんなとき、もうお亡くなりになりましたが、今井雅之という俳優さんが『THE WINDS OF GOD』という舞台の公演を福岡でやるという話が聞こえてきた。想像がつかないと思うんですが、今井雅之さんの本は岩波書店から何冊も出ているんです――出しているのは、じつは僕なんですが――それで、彼の新刊の会場販売をマネージャーさんばかりに任せておくわけにはいかないですから、陣中見舞いがてら手伝いに行くということで福岡まで行って、そこから佐世保まで足を伸ばした。

稲垣 佐藤氏は「坂本くんはついでに来た」と言っていました。

坂本 「ついで」じゃなかったんですけど、合わせ技です。そうでもしなければ佐世保までは行けませんでしたから。


――佐藤さんからいただいた原稿に対して、何かリクエストをしたことはおありなんですか。

坂本 事実確認のようなことです。たとえば「製油所の仕事内容には、こういうことも加えてください」とか、「小山内と梢が最初のデートで一緒に見に行った映画が『スターウォーズ』では年代的に設定と合いません、『タクシードライバー』でどうでしょう」とか、そういう感じですね。

 『月の満ち欠け』は、話としてはちょっとあり得ないようなストーリーなので、それを読んでもらおうと思うと、細かいところに嘘があるっていうのは小説としては致命的なのではないかと思いましたから。佐藤さんは「いいじゃん、それぐらい」ってすぐ言うんですけど、「駄目です」と言って直していただいたりしました。

稲垣 『月の満ち欠け』のラストは、坂本くんのリクエストだと聞いているのですが、ラストの1行。

坂本 あ、はい、そうですね。最後の1行は、いただいた原稿の時は、改行されていなかったんです。地の文として続いていました。それで、「これは嫌かもしれないですけど、改行させてください」とお願いしました。それを佐藤さんは貢献だとはおっしゃらないと思うんですけど。


<感想>
 1999年に編集者が好きな作家に佐世保まで会いに行ってから20年弱経過した頃、(時期はともかく)約束通りに岩波書店で書き下ろした長編が直木賞を受賞した『月の満ち欠け』。
 友人でもある編集者の熱意に、改めて敬意を表したい。

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