元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、何が聞こえ何を見るのかという感覚を研ぎ澄ませる?


【 ケイコ 目を澄ませて:三宅昌監督 】

 


 先日、Amazon Primeで、「ケイコ 目を澄ませて」を見た。

 以下は、『ケイコ 目を澄ませて』三宅唱監督インタビュー「他者の立場であることを自覚して想像すること」(2022.12.14)からの一部抜粋。(その2)
https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2022/12/14/110000

 


他者の立場であることを自覚して想像する客観性

映画を観る観客自身が、何が聞こえ何を見るのかという感覚を研ぎ澄ませていくことが、実はケイコのように生きること、つまり、ケイコが目を澄ませることなんだと思います。ぼく自身も自分の人生の当事者としてこの映画と向き合うことが、今ぼくができる精一杯の映画の表現だったかなと思います。それが正しいのか、まだ全然わからないですけど。

 


聞こえなくても、この世界に確かにあるものを描く

聴者にとっては音としてのリズムですけど、音を消しても動きでリズムが生まれるようにしています。リズムっていうのは単に音の問題ではなく、ボクシングの体の動きが生むリズムって、聞こえるか聞こえないかは関係なくこの世界に確かにあると思っていて、そこからこの映画を始めていきたいと考えていました。

 

やりたいことはたくさんあって。音楽も当然好きだったし、本読むのも好きだったけど、映画には全部あるじゃんって。中学3年生の時に初めて小さなビデオを撮ったとき、そのことを感じました。映画を理由にすれば、どこでも行けるし誰とでも会えると思ったので、映画を仕事にするのが楽しそうだなと思いました。

 


16ミリフィルムが記録した、一生に一度のボクシング映画

ぼくも岸井さんも多分、一生に一度しかボクシングに関わる映画を作らないと思う。その意味で、今回フィルムで撮れたのは嬉しかったですし、できるなら今後の作品も、正直、全部フィルムでやりたい。

 


フィルムの一回性によってたどり着く表現

デジタルの利点として、トライアンドエラーによって自由を獲得できますが、フィルムの一回性によって、考え抜いた末に目指す表現にたどり着くことができることが、自分にとってすごく新鮮でした。初めてだったのでプレッシャーはありましたけど、単純に楽しかったです。

 


映画の前に広がる平等な瞬間や人間関係の楽しさ

国籍も性別も立場も宗教も何も関係なく、映画の前で平等な瞬間や人間関係性があって、それが楽しいんですよね。

 


スクリーンでかける映画を作りたい

社会との関係の持ち方については、ぼくの映画は、なかなか感じ取れないかもしれないし逃げてしまってるところもあるのかもしれないけど、最初の映画から、今この時代だからこそやるべきだろうというテーマがベースにあります。もちろんその時点で見ている社会は、自分の年齢も上がってきて変わりますが、この時代だからやるべきだろうというベースは変わらずやっていきたいです。

 


<感想>
上記の内、特に胸に刺さったこと
1.映画を観る観客自身が、何が聞こえ何を見るのかという感覚を研ぎ澄ませていくこと
2.聞こえなくても、この世界に確かにあるものを描く
3.フィルムの一回性によって、考え抜いた末に目指す表現にたどり着く
4.映画の前に広がる平等な瞬間や人間関係の楽しさ
5.この時代だからやるべきだろうというベース

 

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