【 石原慎太郎:「私」という男の生涯 】
先日、『「私」という男の生涯』(石原慎太郎著、幻冬舎)を読んだ。
以下は、幻冬舎のWebサイト及び同書からの一部抜粋。
https://www.gentosha.co.jp/book/b14395.html
「自分と妻」の死後の出版のために書かれた自伝
弟・裕次郎や家族への愛と感謝、文学・政治への情熱と悔恨、通り過ぎていった女たちへの思慕と感傷……。太陽のような輝きで、この国を照らし続けた男が死して初めて明かす「わが人生の証明」。
死の瞬間にも意識だけははっきりしていたいものだ。出来ればその床の中で、有無言わされぬたった一度の体験として迎える自分の死なるものを意識を強め、目を凝らして見つめてみたいものだ。それがかなったならば、多分、この俺はつい昨日生まれたばかりのような気がするのに、もう死ぬのかと思うに違いない。(本文より)
平沼赳夫に関する記述
・・・長い政治家生活の中で平沼氏ほど真摯に僚友として尽くしてくれた人物は他にいない。彼ほど事に応じて剛毅強直で、男として政治家としての芯を曲げずに通してきた男は他にいはしない。彼こそ人生の真の友と言える男だと思っている。
橋下徹に関する記述
・・・ただその中での「政治家は国民のふわっとした民意を鋭敏に汲み取らなくてはならない」という一節には不安を抱かされた。
ふわっとした民意というそもそもいかなるものだろうか。政治に関する案について殆どの国民は熟知することなく、一部のメディアの言うままにふわっとした民意を抱きやすいものだ。そして政治家がそれに迎合すれば政治は往々にしてポピュリズムに堕しかねまいに。
山田宏に関する記述
私にとっての最後の総選挙では、仲間内では最年少ながら優れた資質を持つ山田宏氏に後を託すつもりで彼を比例一位に据え、私は最下位に登録して正解を後にするつもりだったが、統制はふるわずに彼も当選には届かずに終わり、私としては有終の美を飾ることはできなかった。ということで、かなり長きにわたった私の政治生活は幕を閉じたということだ。それを振り返って今更に空しいなどと思いもしない。特に首都東京を預かる知事の仕事を果たしたことは政治行政の実感を満喫できたし、思い残すことなどありはしない。
今思い返せば私の人生はなんの恩寵あってか、愚行も含めてかなり恵まれたものだったと思われる。だから、あの賀谷さんが言っていた通り死ぬのはやはりつまらない。
<感想>
自分の死を意識して、「自分と妻」の死後の出版のために書いた自伝。
大学の偉大な先輩でもある石原慎太郎氏のご冥福をお祈りします。
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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