元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、待つことができない社会?

 

 【 「待つ」ということ 】

 


 先日、鷲田清一著『「待つ」ということ』(角川選書)を読んだ。

 以下は、一部抜粋。(その1)

 


まえがき


 待たなくてよい社会になった。
 待つことができない社会になった。
 待ち通しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。待ちこがれ、待ちわびて、待ちかな、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず・・・・・・。だれもが密かにもってきたはずの「待つ」という痛恨の想いも、じわりじわり漂白されつつある。


 かつて「待つ」ことはありふれたことだった。一時間に一台しか来ない列車を待つ、数日後のラブレターを待つ、果物の熟成を待つ、酒の発酵を待つ、相手が自身で気づくまで待つ、謹慎処分が解けるのを待つ、刑期明けを待つ、決定的現場を押さえるために待ち伏せる(かつて容疑者を追って、同じホテルに一年間張り込んだ刑事がいた)。万葉集古今和歌集をはじめ、待ち遠しさを歌うことが定番であるような歌謡の手管があった。待ちこがれつつ時間潰しをすること、期待しながら不安を抱くこと、そんな背反する想いが「文化」というかたちへと醸成された。喫茶店はそんな「待ち合い」の場所だった。農民や漁師、そしてウェイター(まさに「待ち人」)といった「待つ」ことが仕事であるような職業があった。相撲でも囲碁でも「待った」できないという脅迫がひとを苛んだ・・・・・・。そんな光景も私たちの視野から外れつつある。


 
<感想>
 グループLINEの(みんなからの)返事を待つことができなくなって、何人かの返信で日程を確定させてしまった自分がいる。
 携帯電話を持ってから、それまでより、待つことができなくなってしまったような気がする。
(次回に続く。)

 

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