元証券マンが「あれっ」と思ったこと

元証券マンが「あれっ」と思ったことをたまに書きます。

あれっ、三つの使役動詞の違い?

 

【 三つの使役動詞 】


 以下は、マーク・ピーターセン著「続日本人の英語」(岩波新書)からの一部抜粋。(その2)

 


三つの使役動詞

 たとえば「母に手紙を書かせた」という日本語を英訳する場合、まず

  I made / let / had my mother write the letter.

 同じ「書かせた」とはいっても、英語の表現としては、上の三つは、まるで「世界」が違う。

  I made my mother write the letter.

 というのは、いくらお母さんに嫌だと言われても、「無理やりに、強制的に書いてもらった」ということになる。

要するに

  I forced her to write it-against her will.

ということになる。

 "let"は、その逆である。"let"(someone ) do(something)"は、単なる「させる」というのではなく、「することを許す」あるいは「することをゆずる」という意味が基本であるので、

  I let my mother write the letter.

と言われたら、たとえば、「ねぇ、宏美、お母さんに書かせてちょうだいよーねぇ、いいでしょう?」と頼まれて、娘は「仕方がないわね」と、書かせてあげることにした、という場面などが浮かんでくる。その娘は、

  There was nothing I could do. I decided to let her write it.

と言えばよい。要するに、

  She wanted to write it, and I decided to allow her to do so.

ということになる。

たとえば、おいしいレアーチーズケーキが二個だけのこっているとき、彼女は大きい方の一個を彼にためさせてあげた、ということなら、

  She let him have the bigger peice.

 "had"は、"made"と"let"の真ん中にあり、中立的な存在である。

 なぜか「母に書いてもらった」だけというケースなら、

  I had my mother write the letter.

と言ってもよい。

 "have (someone) do"は、「やってもらうのは当然だ」という事情を示すので、使い方がそれだけ限られている。たとえば、留学する手続きとして、願書に親の「許可」のサインが必要な場合、お母さんは不賛成でない限りは、当然のことながら、サインしてくれるであろう。

  She had her mother sign her approval on her application form.

と"had"を使って表現すればよい。

 


 納得させて何かをしてもらうとき

 

 もし、「最初は親に留学を反対されていたが、何とかお母さんを納得させてサインしてもらった」ケースだったら、"had her sign it"ではなく、"got her to sign it"と言うのである。

 具体的に言えば、

  She got her mother to sign her approval on her appliation form.

"get (someone) to do (something)”と言えば、多くの場合は、"persuation"をいくらか示すことになるのである。

 さて、上述の make, let, have, get to を一つの例にまとめてみよう。

At the restaurant, I got*1 the waiter to give us a corner table by the window and had*2 him recomend the best Bordeaux in the house. When he brought the wine, he
seemed so sincerely interested in its flavor that I decided to let*3 him try a small glass of it himself. But before he was able to drink any, he somehow managed to spill the whole thing across our table, and I became so enraged that I made*4 him wipe up the mess with his own handkerchief.
(レストランでウェイターに頼んで何とか窓ぎわの角テーブルにしてもらい、当店の最高のボルドーを選んでもらった。ワインを持ってきたそのウェイターは、その味を本当に知りたそうに見えたので、グラスにほんの少し味見をさせてあげようとした。ところがまだ口もつけないうちに、ワイン全部をテーブルにワッとこぼしてしまった。私は激怒して彼自身のハンカチで全部きれいにふきとらせた。)

got*1 ......to(少々特別にしてもらう)
had*2(当然してもらう)
let*3(少々特別にさせてあげる)
made*4(無理失理させる)

 


<感想>
 3つの使役動詞+get to のニュアンスの違い。
 学校の英語の授業だけで会得するのは難しいように思われる。

 

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あれっ、三つの「みる」のニュアンスの違い?

 

【 三つの「みる」 】

 


 先日、何年か振りに英語のメールを送信したが、文章作成に苦労した。
 以下は、マーク・ピーターセン著「続日本人の英語」(岩波新書)からの一部抜粋。

 


三つの「みる」

 

I saw / looked at / watched a movie last night.

 たとえば、ゆうべ観た映画は面白かったので、その話をしようと思ったら、最初に

 I saw a movie last night. It was great.

と話を始めればよい。これは、たとえば、「先週、面白い本を読んだよ」という意味の、“I read a good book last week.” と同じく、何かを経験した」という意味である。

 

 もし、それと違って、ある映画を教材として使えないかなと思って、ビデオで一応目を通したことなら、その場合

 I looked at a movie last night,but I decided not to use it in my class.

と、“look”で表現する。

 

 それに対して、
 I watched a movie last night.

というのは、「ゆうべ、時間をどう過ごしたのか」という質問に答えているようなニュアンスがある。

 

 A:What did you do last night ?
 B:I really didn’t have anything at all special to do, so I just watched a movie on TV and then went to bed.

 

 大まかに言えば、”seeing”は、目という”道具”でもって、あるものを visual information として頭脳に入れることである。”looking”は、一応注意してみることではあるが、時間の経過をあまり感じない表現である。”watching”はまさに時間の経過して行く間、ものの変化を意識する、「観察」に近いことである。

 

 たとえば、「ちょうどその瞬間、私はドアをみているところだった。」という日本語を英訳すれば、”I was watching / looking at the door just at that time.”と言ってもよいが、前者ならば、誰かが入ってくるのではないかと、じっと意識的にみていたもいう意味になる。それに対して後者の方は、たまたまその瞬間にドアのほうに目を向けてみているところだった、という意味になる。英語としては、この二つは基本的に違う。

 


<感想>
 中学1年生で習った三つの英単語。
 この種のニュアンスの違いを学べる機会があればもっと英語を理解できたかと思うと残念だ。

 

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あれっ、グローバリズムが、ナショナリズムに勝利?

 

米大統領選の本質 】


 PRESIDENT Online の2020/12/1付け『「大統領選の不正投票疑惑」いまだ真相が報道されない本当の理由 集計システムと民主党を結ぶ点と線』に興味深い記事が掲載されていた。
https://president.jp/articles/-/40921?page=4

 以下は、一部抜粋。


グローバリズムvsナショナリズム」が2020米大統領選の本質

 社会的弱者の味方を自称する民主党は、実は多くのグローバル企業から巨額の献金を受け取っているが、そんな彼らにとって、国境に壁を作って不法移民を制限し、中産階級の所得を増やしたいと願うトランプ氏のようなナショナリストは、商売の邪魔以外の何ものでもない。

 こんな「グローバリズムナショナリズム」の構造こそが、今回の選挙の本質であるわけだが、その中で見られた大手マスコミの異常なまでの偏向ぶりや、投開票におけるさまざまな不正投票活動は、トランプ氏によって奪われた権力を取り返そうとするグローバリスト(エスタブリッシュメント層)らが仕掛けた「米国版・色の革命」である可能性はないのだろうか。
 かつての「色の革命」に見え隠れしていたジョージ・ソロスらの登場人物たちが、今度はその「革命」を米国内で起こし、クリントンオバマらのようにグローバリストの意のままに動いてくれる政権を立ち上げよう、というわけだ。

 それに対してトランプ側は、不正選挙の証拠を集めて反撃に出る準備をしている。裁判が成立するか否か、またその行方は何とも言えぬが、不正の事実そのものの存在が明らかになれば、グローバリストらが支配する大手マスコミは信頼を一挙に失い、大きなパラダイムシフトが起こる可能性がある。

 そんな米国で今後懸念すべきは、社会の深刻な分裂である。バイデン氏が勝てば、オバマ政権時に頻発したような、保守派を追い詰めて人々を銃規制支持に誘導する派手な銃乱射事件もまた増えるだろう。さすれば保守的な州は、あるいは「独立」を言い出す可能性すらあるだろう。
 一方でトランプ氏が勝てば、逆に左派が強いカリフォルニア州などが同様に「独立」を主張する可能性もある。ひいてはこれが「第2次南北戦争」のような内戦につながることを危惧する声もあるが、米国社会の分断修復にはまだ長い時間がかかるであろうことだけは間違いなさそうだ。


<感想>
 電子投票システム「ドミニオン」を含め、米大統領選の不正疑惑は未だに止まっていない。
 「グローバリズム(バイデン民主党)対ナショナリズム(トランプ共和党)」が大統領選の本質で、米国社会の分裂が深刻化する背景の一つであると妙に納得してしまった。

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あれっ、レッド・パージ中の脚本家によるローマの休日?

 

ローマの休日:脚本家ダルトン・トランボ

 


 先日、『「ローマの休日」を仕掛けた男 不屈の映画人ダルトン・トランボ」(ピーター・ハンソン著/松枝愛訳)を読んだ。

 以下は、一部抜粋。

 


 映画『ローマの休日』の原作者については、トランボの全作品の中で最も吟味されてきた。トランボは自分のオリジナル映画脚本を本人のイアン・マクレラン・ハンターの名前で市場に出し、それをパラマウントが買った。
 プレストン・スタージェスベン・ヘクトその他による草稿は退けられた。監督のウィリアム・ワイラーがローマへ携えた草稿はトランボの脚本をハンターが手直ししたものだった。
 ワイラーは英国の作家ジョン・ディントンを雇い、その草稿に磨きをかけ、制作中に新たなシーンを書き加えさせた。そのため、1953年に映画が公開された時、画面に出された脚本家のクレジットはハンターとディントンが共有した。


 別離で感傷的になっている心情を振り切って素っ気ない台詞を吐くのだが、ヘップバーンが演じた人物(アン王女)がジョーと別れたことによって勝ち取った成熟ぶりを明らかに示すものであるだけに、彼女の演技の中でほかでは見られない重みがある。


Were I not completely aware of my duty to my family and my country, I would not have come tonight. Or indeed ever again. Now, since I understand we have a very full schedule today, you have my permission to withdraw.


 この台詞はあらゆるトランボ作品の中で義務と個人的名誉に関する最も明白な意見表明の一つである。


 トランボが描いた主義に殉じた登場人物たちと、主義に殉じたトランボ本人の行為との類似は、彼の映画作品の研究から少しずつ集められたおそらく最も重要な教訓である。


 彼女は自分の義務を果たすために自由を断念し、彼の方も彼女の愛を正当化するため安易な金もうけを諦めたのだ。


原註
 ブラックリストによって必然的に生じた欺瞞のためハンターが『ローマの休日』で受賞したオスカーは厄介で、彼自身「あれは悪夢だった」と振り返る。「誰も自分のやっていないことに対して有名になりたくなんてない。
 僕はただオスカー像を家に持ち帰り、ニューヨークの家の屋根裏部屋に放り投げた。思い返すと、ほかに選択肢はなかった。
 『ローマの休日』が制作されていた時、まだブラックリストは優勢だった。少なくともダルトンは賞金を得た。皮肉にも、ブラックリストが幅を利かせれば利かせるほど、自分も替え玉(フロント)を使わざるを得なくなった。」
 『ローマの休日』のクレジットが書き直されたのは、1993年5月になってからだった。


<感想>
 赤狩りで逮捕もされた脚本家ダルトン・トランボ
 「ローマの休日」においても、義務と名誉に関する彼の主義が所々に感じられる。

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あれっ、「前向きな対応」からの変更?

 

【 日中防衛相テレビ会談 】

 


 2020/12/14、17時から約95分間、岸防衛大臣と魏鳳和・中国国務委員兼国防部長とのテレビ会談が行われた。
 以下は防衛省のHPからの一部抜粋。
https://www.mod.go.jp/j/approach/exchange/area/2020/20201214_chn-j.html

 


両大臣は、日中関係や地域情勢について意見交換を行いました。

 

岸大臣からは、我が国固有の領土である尖閣諸島周辺海域を含む東シナ海情勢について、まず、同諸島に関する我が国の立場をしっかりと伝えた上で、中国軍や中国公船の活動といった個別の事象について指摘しつつ、力を背景とした一方的な現状変更の試みに対する強い懸念を伝達し、事態をエスカレートさせるような行動をとらないよう、強く求めました。

 

また、南シナ海情勢については、岸大臣から、現状への懸念を述べるとともに、法の支配や自制の重要性を指摘しました。

 

さらに、岸大臣から、中国が自国の国防政策や軍事力の透明性を向上させ国際社会の懸念を払拭するよう求めました。

 


(参考)2019/12/18「日中防衛相会談(概要)」
https://www.mod.go.jp/j/approach/exchange/area/2019/20191218_chn-j.html

 

1 総論
(1)河野大臣から、尖閣諸島周辺海空域等の東シナ海情勢について、中国軍の活動等について懸念を伝えるとともに、中国側の前向きな対応を強く求めた。その上で、両大臣は、東シナ海の安定の重要性について認識を共有した。

 

2 地域情勢
(1)両大臣は、北朝鮮情勢に関し、安保理決議の完全な履行の重要性を確認した上で、日中両国共通の目標である朝鮮半島の非核化に向けて、日中間で連携を進めることで一致した。
(2)河野大臣から、国際社会の関心事項である南シナ海問題について、係争中の地形の非軍事化の重要性を指摘した。

 


<感想>
 本件は、王毅外相が尖閣諸島の領有権を主張した11/24の発言に抗議し、政府に反論を促す自民党外交部会と外交調査会の12/1の決議文を踏まえた、日中防衛相のテレビ会談。
 1年前の日中防衛相会談以降の「前向きな対応」ではなく、「事態をエスカレートさせるような行動をとらないよう」強く求める内容に変化したことは心強い。

 

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あれっ、日銀買入れ国債による有効需要の創出で問題なし?

 

【 コロナ経済対策 】

 


 2020/12/8、「国民の命と暮らしを守る安心と希望のための総合経済対策」が閣議決定された。
https://www5.cao.go.jp/keizai1/keizaitaisaku/keizaitaisaku.html

 

 これを受けて、高橋洋一氏が、2020/12/14『「73兆円コロナ経済対策」報道を比べて浮き彫りになった、マスコミの「大きな勘違い」』の記事を掲載された。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78316?page=1&imp=0

 

 以下は記事からの一部抜粋。

 


事業費総額73兆円(財政支出40兆円)のコロナ経済対策がまとまった。財政支出40兆円の内訳は、コロナ拡大防止策6兆円、ポストコロナ経済構造転換18兆円、国土強靭化6兆円、予備費10兆円。

 


まず、潜在GDPと実際のGDPの差であるGDPギャップは、内閣府の推計でも30兆円超もある。


これを放置すると、半年後以降の失業率が上昇する。おそらく失業率2%程度上昇、失業者で見れば120万人程度が増えるだろう。それに伴う自殺者は6000人程度増えるだろう。それはコロナによる死者2300人の2倍以上だ。

 


マクロ経済政策の究極の目標は雇用の確保だ。それができれば自殺者の増加を抑えることもできる。


以上のことから、GDPギャップを経済対策の有効需要で埋めないと後で失業が増え、結果として命が失われるので、経済対策はまず規模というのが、マクロ経済学からは正解になる。

 

ちなみに、今回の経済対策による支出が直接的に実質GDPを下支え・押上げする効果は、内閣府試算によれば3.6%程度だ。これは、財政支出から、予備費、融資などを除いた真水ベースで今回の経済対策が20兆円程度というわけだ。予備費を含めれば、GDPギャップのかなりの程度は埋められるので、マクロ経済政策としてはまずまずの出来といっていいだろう。

 


これまでのコロナ対策では大量の国債発行がなされたが、ほとんど日銀が買い入れている。日銀買い入れ国債について利払いがされるが、それは日銀の収益になって日銀から政府への納付金になる。


このため、政府にとって財政負担はない。これはやり過ぎればインフレ率が高くなるが、今のところ、コロナのためにインフレ目標には程遠い。

 

別の言葉で言えば、コロナショックで需要喪失なので、インフレの心配がなく、しかも通貨発行益を活用するので財政悪化もなく将来世代への心配もない。こうした政府と中央銀行とのコラボは、日本だけではなく欧州でも行われている。

 


なぜ、このようなレベルの低い社説を各紙は出すのだろうか。


それに対する筆者の邪推は、(1)マクロ経済学の無知、(2)財務省からネタをもらうので忖度、(3)新聞が軽減税率を受けているので忖度、のどれかだろう。

 


内閣府モデルでは政府支出乗数は1.1もない。

 

ということは、政府支出に対して誘発される民間需要が1割にも満たないこと意味しており、GDPギャップは公的需要で埋めないと、将来の失業者や自殺者は不可避となってしまう。

 


今回の経済対策などでは、政府による研究開発基金、環境関連グリーン基金、デジタル関連基金などの将来投資が盛り込まれた。そのほか、インフラ整備でも今絶好のチャンスである。

 

官による投資だけではなく、一層の金融緩和や設備投資減税などで民間投資を誘発できればさらにいい。

 


(ご参考) 2020/10/29 日本銀行

「当面の金融政策運営について」
https://www.boj.or.jp/announcements/release_2020/k201029a.pdf
長期金利:・・・上限を設けず必要な金額の長期国債の買入れを行う。)

 


<感想>
 事業費総額73兆円(財政支出40兆円:コロナ拡大防止策6兆円、ポストコロナ経済構造転換18兆円、国土強靭化6兆円、予備費10兆円)の総合経済対策。
 日銀が買い入れる国債を活用した、前倒しでの真水の経済対策を大いに期待している。

 

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あれっ、真っ直ぐ登るのはオタンコナス?

 

伊集院静:ミチクサ先生(夏目漱石) 】

 


 病気療養のため、2月21日から休載していた日経新聞連載小説「ミチクサ先生」(伊集院静作、福山小夜画)が、11月11日(159回)から再開した。

 以下は181回〜182回からの一部抜粋。

 


金之助は、毎日のように家に来る寺田寅彦がいつになく沈んでいる姿が気になって声をかけた。

寅彦は後に東京帝国大学に進学し、首席で卒業をしたほどの勉強家だった。かと言って勉強ひと筋のガリ勉タイプではなく、金之助が俳句を愉(たの)しんでいるのを見て、ぜひ教えて欲しいと申し出た。のちに牛頓(ニュートン)などの俳号を持ち、俳書まで出版する好奇心のかたまりだった。


「……実は先日、教頭から呼びだされて叱られました」

「ほう、どんなことでかね?」

「俳句などにうつつを抜かさず、きちんと勉強をしろと、そうでないと帝国大学へ行ってもついてはいけないぞ、と」


「君の目指すところが、さしずめ、あの築山のてっぺんだとしよう。なら誰もが真っ直(す)ぐここからてっぺんにむかって歩くはずだ。でも私は、そんな登り方はつまらないと思うんだ」

「つまらないんですか?」

「ああ、オタンコナスのすることだ」

そう言って金之助は笑った。

「真っすぐ登るのはオタンコナスですか?」

五高はじまって以来の優等生の寺田寅彦は金之助の顔をじっと見て訊(き)いた。見られている金之助もかつて、一高はじまって以来の秀才と呼ばれたことがあった。

「そうさ、つまらない。そういう登り方をした奴には、あの築山の上がいかに愉(たの)しい所かが、生涯かかってもわからないだろうよ」

「ではどう登ればいいのでしょうか?」

「そりゃ、いろんな登り方でいいのさ。途中で足を滑らせて下まで落ちるのもよし。裏から登って、皆を驚かせてやるのも面白そうじゃないか。寺田君、ボクは小中学校で六回も転校したんだ」


「いろんな寄り道ができて面白かったよ」

「寄り道ですか?」

「道草でもいいかな?」

「みちくさですか? 先生がそんなふうになさったとは想像もしませんでした」

「いろんな道の端で、半ベソを掻(か)いたり、冷や汗を掻いたりしていたんだ。"我楽多(がらくた)"とか"用無し"と呼ばれたこともあった。その時は少し切なかったし、淋(さび)しい気持ちになったが、そんな私をちゃんと守ってくれたり、手を差しのべてくれる人がいてね。その人の温りで寝た夜もあったよ」

「先生のみちくさは愉しそうですね」

寅彦が金之助をまぶしそうな顔で見つめ、目をしばたたかせていた。

「意外と、私は自分の来た道を認めたいのかもしれないね。江戸っ子特有の強がりかもしれない」

「先生」。寅彦が呼んだ。

「何だね?」

「ボク、少し力が湧いて来ました。みちくさをしてみたくなりました。物理学にも俳句があった方が良い気がします」

「そうかね、そりゃ、楽しみだ。一高に米山保三郎君という親友がいてね。彼がこう言っていた。わかりきったことをして何になる? あちこちぶつかりながら進む方がきっと道が拓ける、とね」

金之助は寅彦を見て静かにうなずいた。

 


<感想>
 今やっていることも、金之助の言う、寄り道とか道草とでも考えれば、何てことはない。

 

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